【第二の人生】高校球児が野球をやめてアメリカ留学をすることを決断した話

どうも、tettoです。

今回は、僕が12年間続けてきた野球をやめ、アメリカ留学を決意した話をしていきたいと思います。

野球の経歴とやめるまでの過程

僕は5歳から野球を始めました。

小学1年生から少年野球チームに入り、休日は毎日野球漬けでした。

小学6年生の時には、ジャイアンツJr.に選ばれて大会に優勝したり、チームで市で3位になったりしました。

小学校では計42本のホームラン球速は123キロ遠投は87メートルでした。

その裏では、股関節剥離骨折野球肘野球肩など、身体が固かったことが原因でたくさんの怪我をしました。

中学校では、シニアリーグに進みました。

1年生の秋から、背番号7をもらいクリーンアップ外野のレギュラーポジションをもらいました。

そして自分の代になった最初の秋、僕は副主将3番センターで南関東大会を優勝しました。

春にはベイスターズカップがあり、銅メダルをいただきました。

そして中学最後の夏、関東3位になり全国大会ジャイアンツカップに出場することができました。

しかし、中学では最後夏の全国2日前松葉杖が取れるという怪我をしていたりしました。

さらに、投手をやった1ヶ月後には怪我をするという変なジンクスもあったので、投手はこの中学生活で終わりになりました。

高校も10校くらい誘いが来て、8月には決まりました。

入学して1ヶ月、すぐに以前の怪我が振り返して来ました。

そして、8月に「右膝遊離体摘出」の手術をしました。

この手術は、手術しなければいけなかったのが中学2年生の頃だったので、完全に治る手術にはなりませんでした。

一時は復帰しましたが、翌年4月には完全に怪我人になってしまいました。

そして2017年7月、完全にマネージャーに転身しました。

そして同時に、野球の道を諦めました。

今まで勉強をまともにしてこなかった奴が勉強を始めた

野球を続けている間は、ずっと「野球殿堂入り」が夢でした。

しかし、野球をやめてからは「スポーツトレーナ」を目指そうとしました。

それが故に、学校では理系のコースをとり、生物などを勉強し始めました。

一般受験を志したのもこの頃でした。当時の志望校は「筑波大学」

しかし、マネージャーのタスクをこなすにつれて、「プレーしないのにスポーツに関わる」ということは僕には無理でした。

そこから、何か僕にやりたいことがないかと考えて、たどり着いたのが「海外にいきたい!」という感情でした。

僕は当時海外に一度も行ったことがありませんでした。だから、野球以外の選択肢を考えた時に、「今まで経験したことがないことがしたい」、「真逆の人生を歩んでみたい」と頭に浮かんだのです。

大体2018年のはじめ頃から、英語を寮生活に本当に少しだけある隙間時間で勉強し始めました。

それが、今の自分の第一歩になりました。

大学受験に失敗

これが、僕の運命を分けてくれたと思います。

僕は当時、「本当に行きたい大学」がありませんでした。

なので、留学したいという思いがあっただけで、志望校を選んでいました。

結果的に僕は全ての大学に落ち、また新たに進路について考える時間を作ることができました。

僕が大学受験を決めたのは、寮生活をしている段階(現役)でした。なので、家族と進路について話す機会があまりなく、大学受験をする方向に向かっていました。

なので、これは僕にとって「運命」なんじゃないかなと思います。

中途半端な気持ちで大学に行っていたら、今頃遊びまわっていた人生だったかもしれません。

この、「大学受験を失敗したことによる、進路について考える時間」が僕の今を変えてくれたのです。

(大学受験のエピソードについてはこちら)

アメリカの大学への進学を決断

 大学に全落ちが決まった2019年の3月、僕は家族と話し合いをしました。

最初は「浪人」することを決めました。

せっかくあと1年も勉強できるのだから、日本で1番いい大学目指した方がいいな!くらいの気持ちで志望校を考えていました。

もうこの時点でおかしいですよね笑

「前の志望校はどうした?」

ってなりますよね。そう、この時点で「この大学で学びたい!」という思いがなかったのです。

それがなければ、もし受かって入学できたとしても、いい勉強はできないだろうし、嬉しくないと思います。

僕の思いは、「留学したい」これ一択でした。

そこで僕はお父さんに海外の大学にそのままいくことを勧められました。

両親はどちらも日本の有名大学を出ているため、急に海外に息子を送り出すことにリスクを感じていたとは思いますが、最初から海外の大学にいくことを勧めてくれました。

さらに、僕の叔母(お父さんの妹)はアメリカの大学院を卒業しています。その叔母のアドバイスもあり、アメリカの大学テキサス、など、色々な決断ができました。

これにより、僕の迷いは一切消え、アメリカの大学に進むことを決意し、動き出しました。

これが、僕の人生転換の過程です。

この道に進ませてくれた両親には本当に感謝をしています。また、応援してくれて、支えてくれる人たちには本当にいつも助けられています。

ありがとうございます。

まだまだ、道のは始まりの段階ですが、これから大きなものを築いていきます。

ではまた明日。

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