【大公開】大学受験の全てを明かします

どうも、tettoです。

今回は、僕の大学受験の全結果と思い出を全て話していきます。

はじめに

僕は今アメリカで大学生をしていますが、実は最初は日本の大学に入学しようとして、大学受験をしていました。

ちょど一年前の今日は、「立教大学、国際経営学部」の一般入試試験を受けていました。

僕の志望校は、

第一志望校:東京外国語大学、国際社会学部

第二志望校:青山学院大学、国際経済学部

第三志望校:立教大学、国際経営学部

第四志望校:中央大学、国際経営学部

このような感じで、留学したかったこともあり、国際系に特化した大学学部を選んでいました。

僕は高校は寮生活をしながら野球をしていたので、実質僕の大学受験は半年間でした。今回はその全貌を全て明かしていきます。

受験ストーリー

それでは僕がどうやって受験生活を送っていたのか、話していきたいと思います。

志望校決定

まず東京外大を志望校に決めたのは、大体6月頃でした。

両親がこの大学の出身ということもあり、国際系といえばここという感じがしたので、迷わず選びました。

最初は外大一本で行こうとしていましたが、流石に両親や先生に止められ、10月頃から併願校も模索し始めました。

そして11月のはじめの頃、私大の併願校を決定しました。

それが、「青山学院大学」、「立教大学」、「中央大学」でした。

選んだ根拠は、「国際系の学部があって、有名で入ってもばかにされることはなさそうだから。」

こんなどうしようもない理由でした。

勉強方法

僕の高校は偏差値「48」

さらにスポーツに特化した田舎の高校でしたので、受験をする人は学年の約5〜10%ほど

カリキュラムも特進科でない限り、受験対策などありもしませんでした。

そのため、野球部を引退して家から学校に通うようになってからは、先生に頼み込んで、休めるギリギリの日数を休んで自分で勉強していました。

学校の授業は、ただカリキュラム終わらせるための授業高校最後の思い出造りのレクリエーションのような授業

僕のクラスにも5人ほど、一般受験生はいましたがほとんどは進路が決まっている人ばかりだったので、勉強する雰囲気はなし。休みたかったのは、これらが理由でした。

ただ、周りは僕らが一般受験することを知っていたので、応援はしてくれていました。

僕は塾に通っていなかったので、「図書館」が主な勉強場所でした。

学校に行かない日は、図書館へ行き朝から晩まで

図書館にいくのがめんどくさい日は自分の部屋にこもっていました

学校に行く日は、朝5時におきて弁当を作り、7時には学校について自習室で勉強しました。学校ではその時間が唯一のちゃんとした勉強時間でした。

落とし穴

こんな感じで、工夫して勉強環境を確保していたように見えますが、僕は「怠惰」な男でした。

夏休みは、日中に甲子園をずっと見ていたりして、朝と夜しか勉強してなかったような気がします。

学校に行く日は、朝こそ集中して勉強できましたが、午後になると眠くなって放課後は図書館や自習室に行きましたが、全然集中できず。

極め付きは学校に行かない日です。

僕は勉強しながら動画を見るという愚かな行為をしていました。

その結果、逃走中を全部見切ったり。テラスハウスも全部見切ったりしました。

勉強中に動画なんか流れていたら、当然集中なんてできるわけがなく、僕の成績は上がるわけがありませんでした。

模試の成績

僕が最初に受けた模試は、夏休みの終わりの東進ハイスクールが出している模試でした。

結果は、英語が80点台だったりと偏差値「43」とか。

酷いもので、言うまでもなくE判定でした。

次が、「駿台ベネッセ模試」10月でした。

筆記はボロボロで、偏差値「47」くらい。

マークは少し良くなって、偏差値「50」くらいにはなりました。

次に受けたのが「全統マーク模試第三回」

これで、偏差値が大体「55」くらいに上がりました。

そして11月の「河合センタープレテスト」

ここで英語は偏差値「60」を超え、全体も「58」くらいになりました。

3ヶ月でこの勉強方法でも意外に上がるなあと思いました。

最後が「駿台センタープレ」。

これが恐怖でした。偏差値「50」

また一気に下がっていきました。これが僕の最後の模試でした。

本番

まずは1月19、20日の「センター試験」

初めての受験でしたが、やはり野球の緊張に比べたら対してことなかったので、普段通りのメンタルで終えることができました。

しかし結果が散々だったため、僕は国公立大学の志望校を変えざるを得ませんでした。

それはこうなりました。

東京外国語大学

横浜市立大学、国際商学部(前期)
和歌山大学、観光学部(後期)

そして私立大学を含めてた計5校の出願を終え、二次試験へと進んで行きました。

最初は「中央大学」2月10日でした。

次が「立教大学」先ほども述べた通り、昨日の今日2月12日でした。

私大最後が「青山学院大学」2月18日でした。

私大の勉強には当然時間は全然使えなかったので、あまり自信がなかったです。

強いていえば、中央大学のは簡単だと感じたくらいです。

そして、2月25日「横浜市立大学」

これはかなり出来が良かったので、受かったなとほっとしました。

そして最後が3月12日「和歌山大学」

流石にこのレベルなら受かるだろうと思って、自信を持って試験を終えました。

結果

先に結果を言っておくと、もちろん「全落ち」でした。

受かってたら今僕はアメリカにいません笑

それではどうぞ!

センター試験

センターはこちらの記事で、お楽しみください。

この英語でマークミスをして173点が143点になりました。

これが後に悲劇を生みます。

中央大学

中央大学はしっかり結果を残していたんので、結果を貼っておきます。

かなり惜しかったです笑

立教大学

立教大学は難しすぎて、全く自信がありませんでした。

結果も5割くらいしか取れなくて、合格最低点から50点くらい離れていました笑

青山学院大学

青山学院大学も、とっても難しかったです。

こちらは結果を残しているので、貼ります。

こんな感じで、最悪でした笑

80点くらい合格最低点から離れていました。

横浜市立大学

ここは市立大学ですので、センターと二次試験の結果を合わせたものになります。

正直、二次試験は英語も小論文もどちらも完璧と言える出来でした。

しかし、センターの結果も引き継ぐので36点失ってしまったことになります。

それで、普通に落ちてしまいました。

和歌山大学

こちらも同様に、センター英語の点数を引き継ぐので、ここでは90点くらい失ってしまいました。

それが原因で、しっかり落ちてしまいました。

これで全落ち、浪人が決定しました。

最後に

このような感じで、僕の大学受験が終わっていきました。

逆にいえば、このマークミスがなければ受かってたかもしれません。

だから僕はこれを「運命」なんだと思っています。

それがあったからこそ、僕は今アメリカで勉強することができています。

次回は、僕がそこからアメリカ留学に踏み切った経緯を話していきます。

では。

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